平成22年度
 小園自治会行事
 できる人が! できる時に! できることを! 

トンネルがあった小園
平成22年度歩け歩け


 晴天に恵まれた5月13日(木)保健部主催の「歩け歩け小園史跡めぐり」が行われました。早園小学校正門前を9時30分に出発し、地蔵堂から寺子屋師匠の墓、お銀様の墓、第六天神社、笠間のギンモクセイ(県銘木百選)、長泉寺、小園橋、古東海道(相模古道)、子之社のコースを9区矢部莫さんの案内で廻りました。

 小園は坂の厳しい所だったそうで(今もその面影はありますが)現在の地形とはだいぶ違っていたようです。子之社の石段前辺りは急坂解消のため、トンネルが掘られていたとか。目久尻川も浅く、くねくねと蛇行していて氾濫したとか。そんな話を聞きながら地蔵堂へ。
 地蔵堂は昔寺子屋としても開かれていたそうで、天明年間(1781年から1788年)には全国101ヶ所あった寺子屋の一つだったそうです。その寺子屋の代々の師匠の墓が近くにあります。師匠金子氏の一人和吉の墓塔の笠にはめずらしい蜻蛉紋の家紋が彫られています。
 調整池横の公園では波瀾の一生を終えたお銀様の墓が大川氏の墓所にひっそりとありました。新橋を渡り、のどかな小径の先に第六天神社があります。桜はもう葉桜に変わってましたが「昔はこの社前に舞台を作り、芝居などを行いました」とは矢部さんの話。笠間のギンモクセイを左に見ながら長泉寺へ。山門横の石仏如意輪観音を見た後、目久尻川にかかる、昔国役橋だった小園橋へ。されから現在小園バス停横の相模古道跡へ。道祖神には「小楚根村中」と彫られ、楚根というのが低く長くつづく嶺の意味で「小さな楚根」が「小園」もその様な土地であったのかと思いを馳せました。最後に枯葉で埋もれた古道を登り子之社へ。氏子総代の金子鴻さんより子の社の由来、祭神が大国主命とか。奉納してある絵馬の説明など伺うことができました。

 この史跡めぐりに当たっては矢部さんがいろいろと資料を用意してくださり、更に深く小園の歴史に触れたように思います。小園の昔を尋ねて見てはいかがでしょうか。

 なお、史跡にはそれぞれ市教育委員会設置の案内板があります。

リポート 2010/05/13 浜田、大和田




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